プレパラートにしていたイエダニ Ornithonyssus bacoti の前若虫(protonymph)と思われる標本を少し観察してみた。室内から見つかった死骸が数個体封入されていて、それぞれ破損しているけれど体毛などは偶然にもよく残っていた。
イエダニの発育各期の形態に関しては、私はなんの知識を持たないが、この標本は成虫と共に採集されたことや、文献にある図(Evans & Till, 1966)とよく似ていることから前若虫と判断した。
イエダニの発育段階のうち、室内塵の観察程度でお目にかかれるのは、普通は前若虫と成虫だけだろう。イエダニの幼虫と後若虫については、どちらも摂食をせず、移動力にも乏しく刺激されると少し歩く程度だし、その期間も1~2日程度らしいので、そう簡単に室内塵などから見つかりそうにない。そんな幼虫と後若虫の外観は、標本を実際に見たことはないけれど、背板や胸板が見当たらなくて毛がまばらに生じた袋に脚が生えたみたいなもんらしい。
摂食といえば、よく分からないのがイエダニの若虫の鋏角で、ずいぶん細くてか弱いハサミにみえる。こんなのをどう動かしたら、皮膚を通って血液にたどり着けるのだろう。
左右の鋏角が交互に細かく動いて、先端をチョキチョキさせながら皮膚を貫いていく様子を想像してみるのだが、実際に吸血中の様子を観察する方法は思いつけない。
イエダニとは、なんともシンプルで覚えやすい名前だ。明治から大正にかけて活躍した生物学者の渡瀬庄三郎により与えられた和名(Yamada, 1931)だという。渡瀬庄三郎は、外来種導入研究とか、渡瀬線(個人的には地図のどこに線引きすればよいのか覚えられない)などで有名な方。
イエダニ自体も外来種(山田, 1936)らしくて、関東大震災後に海外から来た衣料品などを含む多量の支援物資に紛れてきた可能性があるなんて、ちょっと失礼な気もする考察もされているけれど、とにかく震災前には知られていなかったそうだ。このあたりの外来種と、大震災や戦争との関連については深堀りすると面白そう。
昭和初期には「誰知らぬ者も無い位になって」いたイエダニも、時の流れとともに一般の認知度はすこぶる低下してきたようにみえ、もはや令和の今となってはそこらの若者に聞いたところでたぶん誰も知らないだろう。これも、ひとえに昔の偉い人々がネズミ類の防除の方針を立てたり、衛生環境を守るための法整備をしてくれたおかげか。
とはいえ、現在でもイエダニはネズミ類と共に街の一隅でひっそりと生き延びているのは確かだ。
【参考文献】
・Evans, G. O. & Till, W. M. (1966) Studies on the British Dermanyssidae (Acari: Mesostigmata). Part II. Classification. Bulletin of the British Museum (Natural History) Zoology, 14: 107 - 370.
https://archive.org/details/bulletinofbritis14farn
(325ページに前若虫の図あり)
・Observations on a house-infesting mite (Liponyssus nagayoi, n. sp.) which attacks human beings, rats, and other domestic mammals, with brief notes of experiments regarding the possibility of the plaque-transmission by means of the mite
Shin-ichiro YAMADA
動物学雑誌 43 (508-510), 237-249, 1931-03-15
DOI https://doi.org/10.34435/zm002109
・イへダニの習性
山田 信一郎
Acta Arachnologica
1936 年 1 巻 2 号 p. 47-50_2
発行日: 1936/07/22
DOI https://doi.org/10.2476/asjaa.1.47